長年、サラリーマンをやってきて、ここ数年よく感じるのが「盛者必衰」というキーワード。周りを押しのけて階段を駆け上がっていった方々も、いつの間にか勢いがなくなり、小さくなった後ろ姿を見かける度に「おごれるものも久しからず」という感想が浮かんできます。
一方で、とくに階段を駆け上がることもできなかった自分もまた、わずかに輝いていたあの頃よりも光は鈍くなり、ますます暗黒面へと落ち込んでいく精神状態。これが「中年の危機」というやつか。
せめて誠実な人生を清廉に過ごしたい。
そんな中、YouTubeなどでよく見聞きする「ホワイト社会」。オタキング岡田斗司夫による未来予測のひとつで、これからの社会は情報の自由な流通と共有によって、公正で透明性の高い状態を目指すようになり、「清潔が正義」な世の中になっていく。松本人志が「いま」問題になっているのも、「ホワイト社会」に移行しているかららしい。
ここ数年来の目標に、「誠実な人格」をあげていることもあり、おそらくはホワイト社会とも関連するであろう『「いいひと」戦略』を読んでみました。
読書メモ
そもそも本書は10年前の書籍であるという前提で読む必要がある。また、自分のキャラクターを「上場」することがこの本のゴールとのこと。
貨幣経済社会の力が落ちてきていて、評価経済社会がやってきているらしい。
いわゆる、食べログなどが連想される「評価経済」は一巡した感覚もあるし、当時もてはやされた評価系サービスも、いくつかはすでにクローズしているという状況。
しかし、岡田斗司夫が提唱する「評価経済社会」とは、個人や企業が、情報や評価の流通によって経済活動が行われる社会のこと。インターネットの登場により、情報や評価の流通コストが劇的に下がることにより実現している、あるいは実現しようとしている社会という理解。
この評価経済社会ではどのような戦略で生き抜くのが良いのか。それが「いいひと」戦略。
「いいひと」の方が「イヤな人」よりも周囲の評価が上がり、評価経済社会では生きやすいですよ、ということ。
「いいひと」になるためには、まず「イヤな人になる努力」をやめる。
「イヤな人になる努力」とは:
- 欠点を探す
- 改善点を見つけて提案する
- 陰で言う
- 悪口で盛り上がる
- 悲観的・否定的になる
- 面白い人、頭の良い人、気の合う人だけで集まる
ということ。
次に、「いいひと」戦略は、以下の6つのフェーズからなっている:
- 助走:フォローする
- 離陸:共感する
- 上昇:褒める
- 巡航:手伝う、助ける、応援する
- 再加速:教える
- 軌道到達:マネー経済から抜け出す
このような「いいひと」戦略の仕事モデルは3Cという構造を取っていて、
- コンテンツ(Contents)
- コミュニティ(Community)
- キャラクター(Character)
が大事であり、ネット上で評価を集めてコミュニティを作るには、「キャラクターとして上場」する必要がある。
「いいひと戦略」とは「いいひと」というキャラクター作りであると同時に、評価を稼ぐこと。本音と建前をなるべく一致させながら、「いいひと」だけではない別の側面を見せることにより「キャラクター上場」できる。
感想
超情報化社会により、カンタンに他人に評価されるようになり、その評価がカンタンに可視化され、流通する社会。そんな評価経済社会では、「イヤな人」でいるのは不利な戦略であり、「いいひと」となり、評価を稼いだ方が良い。
とは言え、本当の善人になる必要はないというところには救いを感じます。そもそも「いいひと」『戦略』を取る人間が善人のはずがないんですよ、と。この辺は「ホワイト社会」における「清潔が正義」「見た目至上主義」にも通じるところがありそうです。
ただ「いいひと」に見られる普遍的な振る舞いとは「他人にしてもらいたいと思うような行為をせよ」ということ。「いいひと」戦略を取ることにより、他人から「本当に」評価され、「本当に」人格的にいいひとになっていくのかもしれない。
さて、自分の生活に置き換えてみると、他人を貶めて自分の評価を上げようとするのは論外だけど、「改善点を見つけて提案する」というような、正しいけど他人から疎まれるような行為は「イヤな人」になる努力であり、損をするだけでうまくいかないよ、ということ。
同じ「改善点を見つけて提案する」という行為でも、まず共感し、そのあとに改善点を提案するというような、相手の気持ちに寄り添った「いいひと」戦略を取ったほうが良いし、その方がうまくいくというのは、まぁ、たしかに、冷たく「見える」態度で損している人(自分含む)いるよなぁ、と思うので、納得するところ。
まずは「イヤな人になる努力」からやめてみようと思います。
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